桑畑 |
投稿:院長 |
NHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公・渋沢栄一の家は藍玉の製造と養蚕を生業にしていたようです。私が子どものころは本芳我邸の裏(現在は鶯団地)に桑畑がひろがっており、赤い実をよく食べました。大洲喜多地区の養蚕は斜陽になり、桑畑を見る事はもうないだろう思っていたら、大洲市多田でされている方がいるらしく行ってきました。実はまだでしたが青々として柔らかそうな葉が繁っています。 |
2021年4月21日(水) |
携帯の写真 |
投稿:院長 |
松山方面へ行く途中、JR中山駅の少し北側で木蓮の花が満開になっているのに気づき、iPhoneのカメラで撮影しました。そこそこの写真ではありましたが、1眼レフだともっといい写真が撮れると思い、3日後に再び現地へ行ってみると、花全体が茶色くなっており撮影時期を逃したようでした。携帯電話の写真機能の威力を感じた次第です。 |
2021年4月2日(金) |
花見弁当 |
投稿:院長 |
クリニック前の桜が満開になったので、栴檀(松山市)の花見弁当を取り寄せました。菜の花と浅蜊の御浸し、筍の煮物、たらの芽の天婦羅など春野菜がふんだんに使われており、見る目も鮮やかです。ビール片手に屋外でと行きたいところですが、三密を避けて室内で我慢です。 |
2021年3月23日(火) |
水仙 |
投稿:院長 |
クリニック裏に植えた水仙が花を咲かせています。それで思い出すのが倉敷の市民病院に勤務していたときの出来事です。医師宿舎に入っていたのですが、玄関脇に1メートル四方の花壇がありました。割と高価な球根を数本植えてみたところ、春先一斉に花を咲かせました。しかし、翌朝、根こそぎ掘られて盗まれたのです。唖然としました。 |
2021年3月10日(水) |
洋燈 |
投稿:院長 |
町並み保存地区の我家近くに令和2年オープンした「洋燈屋ICHI」でポーランド製ランプを買いました。アウトドア用品も置いており、ジャズ音楽が流れる洒落たお店です。気に入ったランプはほかにあったのですが、中国製造と聞いて写真のものに落ち着きました。店の斜め前はこれまた昨年オープンの天然酵母パンとランチの店「Charme」で、開店前から行列(ほぼ女性)ができています。隣は以前からあるcafè「でんじろう」で固定客がいるようです。コロナ禍で経営は厳しいと思いますが頑張ってください。 |
2021年2月24日(水) |
八幡浜チャンポン |
投稿:院長 |
御三家のひとつ「イーグル」に行ってみました。携帯電話の地図情報を頼りに店を探したのですが、なかなか見つからず気がついたら店の廻りを一周してました。鶏ガラベースのスープに少し醤油も入っている感じで、豚肉野菜炒めのトッピングがなければ昔懐かし中華そばです。ご当地B級グルメがあるのはいいですね。内子には酢でしめたアマギにおからをつめた丸寿司がありますが、南予一帯で食されており、ご当地グルメとは言えません。 |
2021年2月12日(金) |
厄払い |
投稿:院長 |
節分の日の夜、四辻(交差点)の真ん中に年齢の数だけの豆を紙に包んで置くと厄払いができる、という風習をご存知でしょうか。車に引かれてボロボロになってはいますが、たくさん置いてありました。ネットで調べると、愛媛では愛南町でも同じようなことが行われているようです。AIが幅を利かせる社会になっても素朴な風習は続けたいものです。 |
2021年2月2日(火) |
恵方巻き |
投稿:院長 |
今日は節分です。恒例の恵方巻きを買いました。道の駅「からり」にはいろんな業者が出店していますが、今回は「レストランからり」のものです。南南東に向かって食し、美味しく頂きました。2月2日が節分になるのは124年ぶりだそうで、これは1太陽年が365日より少し長いことが関係しているようです。天文学には強くないのでうまく説明できません。それにしても、小惑星探査機「はやぶさ2」に関わっている人たちは、宇宙空間の出来事を頭に浮かべることができると思われ羨ましい。 |
2021年2月2日(火) |
キャンプ |
投稿:院長 |
最近、キャンプが流行っているらしいです。知清の河原は真冬にもかかわらず週末には必ず誰かがテントを張り、バーベキューなどをして楽しんでいます。中にはソロの人やお遍路さんもいます。夏場はもっと多く、10張近くになります。奥の相撲場横には水道とトイレがあり、橋を渡ればコンビニもあるので便利だからでしょうか。個人的には、中学の英語キャンプでまだ今ほど整備されてない石ころだらけの河原にテントを張って寝たことがありますが、肩が痛くて眠れませんでした。 1月16日撮影 |
2021年1月16日(土) |
レクイエム2020 その2 |
投稿:院長 |
名曲「また逢う日まで」の作曲者・筒美京平氏が亡くなりました。銀座・山野楽器入口の特設ステージで、デビュー間もない尾崎紀世彦の生歌を聞いたのを昨日のことのように覚えています。彼は2012年に亡くなっています。一緒に歌を聞いていた叔母は介護施設に入りました。昭和は遠くなりにけりです。 |
2020年12月30日(水) |