曽根城について |
投稿:院長 |
伝えるところでは、曽祢高昌なる武将がこの地に住み着き、内子曽祢氏の祖となったと言われます。戦国時代の喜多郡は紛争が絶えず、曽祢氏もその渦中にありながら、巧みに乱世を生き延びていきました。しかし、秀吉の権力が伊予に及ぶようになると、曽根城は小早川隆景によって廃城とされ、曽祢氏も伊予を離れ毛利氏を頼り、近世には萩藩の家臣へと変貌することとなります。 (愛媛県立歴史文化博物館・研究員ブログより抜粋) こんな山の中にも秀吉の全国統一の影響があったのですね。発掘調査すればと思いますが、かなりの費用がかかるのでしょう。 なお、登山道は昨年の大雨で崩れて通れません。修復を! |
2020年12月16日(水) |
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